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谷町線の基礎知識

谷町線の正式名称は大阪市営高速鉄道2号線、簡単に言えば(大阪市営地下鉄2号線)地下鉄で
2番目に開通した路線という意味です、なぜ路線名が付けられたかとういと、一般人に親しんでもらい
路線名を覚えやすくする為、路線の上を走る道路の名前が付けられています(谷町線の場合は上を
走る谷町筋にちなんで付けられています、路線カラーにも由来があるんですよ、谷町線の場合は紫色
ですなぜ紫色かと言うと谷町線の上えを行く谷町筋にはお寺が多いんです、因みに地図を調べたら
779件のお寺が確認しました、お寺の住職の着る最高衣が紫色なのでお寺の多い谷町筋の下を走る
谷町線のラインカラーが紫色になったのです。

谷町線の運用と区間

谷町線は大日(守口市)〜八尾南(八尾市)約28キロを結ぶ大阪の地下鉄の中で一番長い路線です
当初谷町線は1967年3月に東梅田〜谷町4丁目間(約3.5キロ)間で開業その当時はまだ路線に
名称は無くただ2号線と呼ばれていた、そして68年に谷町四丁目〜天王寺間が開通した、その翌年
69年に名称が正式決定し谷町線という名称が付けられた、そして1974年に東梅田〜都島間が開通
そして翌75年にそれまで無かったラインカラーが決定し車輌に紫帯が取り付けられた、そして1976年
に車内放送が自動化された、しかし当時の放送は音質はかなり酷かったらしい(父の証言)そして77年
に都島〜守口間が開通した、1980年に天王寺〜八尾南間が開通し83年に守口〜大日間が開通現在
にいたった、なお大日延伸時にはすでに守口延伸時に守口駅〜大日検車場間の線路、トンネルは既に
開通しており、建設は駅のみとなった、しかし延伸を重ね路線も大分長くなったので列車の運用を大運用
と小運用に分けることになった大運用は大日〜八尾南間のフル運用で、小運用は都島〜文の里間の区間運用(都心部)となった、早朝と夜間は大運用のみでの運行だが、それ以外の昼間時は大運用、小運用の交互運行になっている、朝ラッシュの終盤(9時〜10時台)になると小運用に付いている車輌を車庫
に返す為に文の里発大日行きや、都島発八尾南行きの運用が大量に組まれ車輌を八尾と大日にある
車庫へ車輌を返すのです、昼間の谷町線は大日〜野江内代間と文の里〜八尾南間が大運用のみの10分間隔、都島〜阿倍野間が大運用と小運用の交互運転で5分間隔となっている、朝、夕ラッシュ時の小運用は一部喜連瓜破まで乗り入れるようになっている、朝夕ラッシュ時の小運用は一部大日、八尾南から
スタートするダイヤも組まれている、深夜の文の里発都島行きの小運用下り最終列車と都島発文の里行き小運用上り最終列車は、それぞれ終点到着後折り返し用に設けられたY線(折り返し線)に留置される
(都島、文の里、喜連瓜破駅には折り返し用のY線が設けられている)そして翌日の小運用の初発に充当
される、そして大運用の下り大日行き最終列車は大日到着後駅よりさらに奥(高槻側)に設けられた留置線に留置され翌日の初発八尾南行きに充当される、そして大運用上り最終列車は八尾南到着後、駅ホームに留置され翌日の大日行き初発にに充当される、ちなみに谷町線には最終終了後の夜間回送と初発前の早期回送が設定されている、上り夜間回送は大日行きの最終の5,6本前を走る2列車が大日到着
後回送となり八尾へ回送される、下り夜間回送は八尾南行きの最終の5,6本前を走る2列車が八尾南
到着後回送となり夜間回送となり大日へ回送される、大日到着後はホームに留置され翌日の早期回送に
充当され谷町4丁目に回送され折り返しまた大日へ回送され折り返し八尾南行きとなる。